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2020年02月09日

その壁を1人で乗り越えられますか?

 

文:赤山僚輔

 
 
 
“刀を研ぐ”
 
自己研鑽をする上でよく言われる表現であり
 
よく例えられる比喩で
 
“錆びたノコギリで一生懸命に大木を倒そうとしていても時間も労力もかかる”
 
そのノコギリを丁寧に研ぐ作業によって一時的にそのノコギリを研ぐ時間は取られ
 
寄り道をしているような感覚に囚われますが
 
結果的に大木を倒す為の時間や労力は少なく済みます。
 

 
 
この比喩を体現するには2つの課題があると私は考えています。
 
 

大木を見極める目

 
ひとつは、大木の大きさや倒そうとしている幹の太さをしっかりと見極める事。
 
 
自分が抱えている課題や業務、そして壁やハードルがどれくらいで終えれて、乗り越えられるのか
 
これは対象物をしっかりと見極められないと判断できません。
 
多くの事象においてこれを過小評価して自分1人で乗り越えようとしている選手やスポーツトレーナーをこれまでにたくさん見てきました。
 
私自身はこのようにJARTAで講師として活動しているのは、向かうべき課題が自分1人では成し遂げることができないと顕在化しているからです。
 
JARTAの講師をする目的は、何かを伝えることが目的ではなく自分の失敗を共有し同じ失敗を繰り返して欲しくないからであり、これから向かうべき課題に向かって一緒に成長していける仲間探しをしているからなのです。
 
 
その仲間が活動を始めて5年以上が経過し、想定していたよりも多いか少ないかというと、数の問題ではないなと最近考えています。
 
 
でも確実に言えることは曖昧であった自分の考えやなぜ失敗したかという課題に対して共有できる仲間が増えることで同じ失敗を繰り返しにくい環境へと自分を置くことができるようになりました。
 
 
 

自分を見極める目

 
そして大木の比喩の2つの目の課題なのですが
 
それは自分持っているノコギリの性能をしっかりと見極めることです。
 
最初はどんな武器も道具も最大限の性能を持ち合わせているでしょう。
 
しかしメンテナンスを怠るとどんどんとその性能は低下します。
 
車のオイル交換もそうですし
 
靴の手入れもそうでしょうか。
 
 
それをスポーツトレーナーに例えると
 
どんなに素晴らしいと言われる治療手技やトレーニング理論を習得してもそれを使いこなす自分自身の身体が自由自在に使えなければ宝の持ち腐れになります。
 
手で手技を実施する限り、上肢の身体操作やその土台となる脊柱や自身の軸の安定性など。
 
自分自身の身体操作の精度を上げ続けることなくして、武器を使いこなすことができないのです。
 

 
刀を研ぐと聞くと
 
実際に持っている武器を手入れするような表現ですが、スポーツトレーナーにとってその刀とは自分自身の身体であると私は考えています。
 
 
ここにも私自身がJARTAで学びを継続する意義になりますが、私は身体が非常に硬く、身体のあちこちに痛みや不調を抱えるセラピストでありスポーツトレーナーでした。
 
 
でもJARTAに出会って徐々に身体が変化し、身体操作を武器にしてアスリートに関わることが今はできています。
 
その武器を研ぎ澄ますには自分の身体に向き合い続けるしかありません。
 
まだまだ自由に使えない身体に課題はいっぱいですが、JARTAには底なしに成長続ける身体操作のツワモノが大勢います。
 

 
彼らの背中を追いながら真似をしているだけで、年々自分の身体が自由に動くようになってきました。
 
 
目の前の大木の大きさを見誤らないように、一緒に目標を共有し、もし可能であれば一緒にその大木を倒せる仲間をJARTAは求めています。
 
そして一緒にノコギリを研ぎ続けられる仲間を求めています。
 

ぜひご興味がある方は以下のページより詳細をご確認いただき、赤山に会いに、JARTAに会いに来てください。
 

BASICセミナー


 
きっと気づけなかった自分の可能性を感じる時間になると思います。
 
 
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
 

JARTA公式HP
https://jarta.jp