<愛される選手になる>

先日、私の元にこのような連絡が届きました。

「ゲームカウント3ー0でリードしてたのにファイナルゲームの末に負ける。。。全国逃した。メンタル弱すぎ。勢いででいけたはずやのに。」

現在中学3年生でソフトテニス選手のお母さんからです。

 

お母さんの言うように実力的には全国大会には出場できるはずの選手です。

本人はもちろんのこと、関わる人ががっかりしたであろうことは想像に難くありません。

その後、団体戦では全国大会の切符を手に入れた報告もあり、中学テニスの引退はまだ先になったことが分かりました。

 

認定講師の岩渕翔一です。

 

 

学生スポーツは、競技を通して子どもの成長を心身ともに促せるような教育としての側面を持ち合わせなければいけません。

この後、団体戦での全国大会の結果を聞いた際私は、そういった意味で凄く嬉しい気持ちになりました。

勝ち負けの結果ではなく、この選手が皆から愛されていると感じたからです。

個人戦で全国大会を逃し、団体戦のみでの全国大会に向けて再度心身の準備を図るために、足や靴の相談などを受けました。しっかりと心身がリフレッシュした状態で出発する。

自信を持てる準備を行い、自分のプレーに言い訳をつくらないようなリカバリーを行い全国大会に挑んでもらいました。

 

 

結果は全国大会準優勝。

この選手自体は大将として使ってもらい負けなしで終わったと。

要約するとそのような連絡をお母さんからいただきました。

 

私はこの連絡をもらい、凄く嬉しい気持ちになりその気持ちをすぐにお母さんにお伝えしました。

準優勝したことが?

負けなしで終われたことが?

どれも違います。

私が嬉しかったのは大将として起用されたことがです。

中学のソフトテニス団体戦は4ペアを登録します。

そのうち1ペアは予備ペア(端的にいうと補欠)で、実際試合を行うのは3ペアです。

今回のチームはこの登録4ペアのうち2ペアが個人戦でも全国大会出場を決めているペアです。

全国大会出場を決めている2ペアではなく、この選手のペアが大将で起用してもらえる。

私はそれを聞いて、お母さんそれだけで大成功ですよとお返ししました。

 

 

当たり前ですが、スポーツはそれぞれの競技ルールの中で勝敗を競い合うゲームです。

試合後は必ず勝者と敗者に分かれます。

当然誰もが勝ちを目指し、試合に挑みます。

しかし、最終的に勝者はたった一人。

あとは全員敗者です。

スポーツは敗者になることのほうが圧倒的に多いのです。

今回のケースでいうと、近畿大会で全国大会を逃した選手はこの時点で敗者です。

その敗者が個人戦で全国大会を決めた選手を差し置いて大将として起用されるという事実とその意味。チームメイトからも指導者からも信頼され、愛されていないとこうはならないのではないかと私は思います。

・選手として

・人として

・普段の在り方や言動

・学生として あげればきりがありませんが、チームメイトから認められ、指導者から認められ。

大将として起用することのメリットがチームとしてあるからこその起用だと思うのです。

ですので、この選手は皆から愛されているのだと感じ、それだけで成功だと感じその気持ちをお母さんにお伝えしました。

スポーツは勝ち負けを競い合うゲームです。

そこに人としての成長をも求めるのであれば、本気で勝ちを目指し、求め、努力しなければそこに人としての成長は望めません。

しかしそれは勝ちに拘るということで、勝たなければならないということではありません。

繰り返しますがスポーツは負けることが圧倒的に多いのです。

私の指導スタンスは「勝ちには徹底的に拘るが、結果に執着しない。」ということです。

負けた先、第一線から離れた先になにが残るのか。

皆から愛される選手は愛されるだけの背景が必ずあります。

その背景こそが人としての在り方であったり、人としての成長ではないかと思うのです。

勝ち負けだけでいえば、準優勝の全国大会も結果は敗者です。

しかし、そもそもスポーツは人から愛されなければ続けることができません。

プロであれ、アマチュアであれ、学生であれ支える人がいるからできるのがスポーツだからです。

そういった意味で皆から愛された選手を嬉しく思うし、誇りに思うし、家族や指導者、チームメイトなど周りの人達の支えを尊敬します。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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