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2015年05月08日

なぜ理学療法士でスポーツトレーナーなのか

なぜ私が理学療法士となりスポーツトレーナーをしているのか。
それは【高校野球の甲子園大会のサポート】をしたかったからです。
 
JARTA認定講師の藤田です。
 
1987年生まれの現在27才で既婚です。
小学校1年〜高校3年まで野球をしており小学校ではキャッチャーを中学校からはピッチャーをしていました。
他に小学校では柔道と水泳、ミニバスケットもしていました。
性格は温厚な方だと思います。ただかなりの面倒臭がりであり適当なところがあります。よく言われるのは何を考えているのか分からないです。
モットーは常に笑う。
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ここから少し真面目な話をさせていただきます。
 
「なぜ自分がスポーツトレーナーになりたいと思ったか」
 
高校時代に肘を怪我ばかりしており本来のパフォーマンスを思う存分発揮できなかったこと、またチームにトレーナーがおりこんな仕事も良いなと頭の片隅にあったのがキッカケです。
高校時代は早く怪我を治したかったのですが実家近くに夜診をやっている病院がなかったため仕方なく接骨院に通っていました。そこでマッサージなどをしてもらっていましたがその場だけ良くなるという繰り返しでした。ですがこんな風に人と関われる仕事も良いなと高校3年性の時に思い、最初は柔道整復師を目指そうかなと考えましたが色々と情報収集をしていくうちに、甲子園大会には理学療法士しかサポートすることができないと知り直ぐに理学療法士になろうと決心しました。やはり高校球児を甲子園大会のサポートしたいという気持ちがかなり強かったです。
また自分は怪我ばかりしていたので「自分と同じような選手を出したくない」という思いもありました。実際に高校の同級生でレギュラーが腰椎分離症で練習ができなくなり、最終的には野球部を学校をも辞めてしいました。そこで怪我の怖さを知り、怪我は人生まで左右することだと痛感させられました。
 
就職先はアスリートにはほとんど関わることのない大阪でも俗に田舎と言われる地域のクリニックに就職し、高齢者を中心に仕事をしていました。高齢者の方々からお聞きする話は自分が経験できないような貴重なお話ばかりで凄く良い経験になりました。特に戦争の話は衝撃的で教科書には書いていない事も本当にたくさん聞くことができました。
 
「なぜJARTA なのか」
11212221_697807070331765_289320122_n(イタリア研修にてラツィオのユースカテゴリーの指導者や選手達)
 
代表の中野とは同じ草野球のチームだったことと、偶然同じセミナーを受講したことがきっかけで色々と話をするようになりました。
 
あのセミナーで中野に出会ったことで僕の人生は変わりました。
 
コンビニで昼食を買って一緒にご飯を食べながら様々な話をしたのを今でも思い出します。
そこで本当に様々な事を教えてもらい今までの自分の小ささに愕然とし、この人と一緒に仕事がしたいと思いました。
「結果的によくなったら何でもええと思う」という言葉は今も忘れないです。
この言葉で色々な悩みが吹っ切れました。
またJARTAには本当に志の高い仲間しかいません。常に刺激をもらえる最高の仲間です。遠くても想いが同じという仲間がいることは本当に心の支えになります。
私はJARTAを通して現在のスポーツ界の文化を変えたいと本気で思っています。
現在では様々な職種や団体、協会がありますがどこも否定しあったりで結局は選手のためでなく個々のことしか考えていません。
それでは選手やトレーナーのレベルアップにもなりません。このような文化をなくしていきたいと思います。
 

《最後に》

今の思いはやはり「自分のような選手を出したくない」というものがほとんどを占めています。
これは競技レベルは関係なく全年齢・全競技レベルに当てはめて考えていおり、怪我でその競技を諦めるという本当に悔いしか残らない思いは絶対にしてほしくないと強く思っています。
 
ダラダラとかなりの長文になりましたが、一言でいうと
【全競技レベル、全対象者に差別なく限りなく均等にサポートを行い怪我なく楽しく悔いがなくスポーツを行っていくのを全力でサポートする】
これが私の思いです。
JARTAではこの想いが必ず実現できると思っています。
それは最高の仲間がいるからです。
一人でできることもありますが限界があります。
何かを達成するときそれは隣に最高の仲間がいるときだと思います。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。