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2016年01月25日
認定スポーツトレーナーヒストリー / 百瀬正浩
現在、長野県の病院で理学療法士として外来リハビリ・訪問リハビリを担当しつつ、ジュニアのバレーボールチームで、トレーナーとして活動しています。
理学療法士を目指したきっかけ
私は、長野県の農家の生まれで、男四人兄弟の末っ子として育ちました。 日々、体育会系で活発だった兄たち背を見て育ってきました。
中学からバレーボールを始め、その後の人生の転機となったのは、高校へ入学しすぐのことです。
左肩に手術するほどの怪我を負ってしまいました。
その怪我が、理学療法士との出会いであり、目指すきっかけとなりました。
その後、競技復帰をしたのは怪我からおよそ1年が経過した頃でした。
今までの遅れた分を取り返そうと、気合十分で練習に打ち込みましたが、怪我をした肩の違和感が全く抜けません。
それどころか、受傷時の恐怖感が、常に頭を過るようになってしまいました。
何とかしなければ思い、そこから筋力トレーニングに明け暮れるようになった。(自分を痛めるように)
でも結果は無残です。どんどん、身体のバランスが崩れ、スタミナも低下。
ついには思うように身体が動かなくなってしまった。
この時に、『力だけではスポーツはできない』と深く感じました。
トレーナーの道へ進むきっかけ
理学療法士の養成校を卒業後、長野県内の回復期病院へ就職をしました。
入職した頃より、「将来はスポーツに関わっていきたい」、そう思い続けてきました。
臨床5年目を迎えた頃です。 JARTAとの出会いがありました。
その時に頭を過ったのは、高校時代の苦い経験でした。
「これからを頑張る選手たちに、自分と同じような思いはして欲しくない。今からでも、トレーナーの道に進み、選手たちのためにできることをしていこう。」
そう、決断をしました。
JARTAに学んだ
最初は、驚きの連続でした。
『全てはパフォーマンスアップのために(手段に囚われない)』
『努力は選手の責任、努力の方向性はトレーナーの役割』
『トレーナーが手本を示せることはトレーナーの常識に』
全てが胸に刺さる言葉でした。
次第に「自分が選手達のためにやれることは必ずある!」と湧き上がる気持ちになりました。
正直、心が救われた気分になりましたが、少し浮かれていると、身を引き締め直してくれるのもJARTAでした。
私たちの一日と選手たちの一日の重みは違います。
焦る意味ではありませんが、私たちの軸に選手を巻き込んでしまってはいけません。
常に選手たちの軸に立つ、つまり手段に囚われずパフォーマンスアップのためにトレーナーとして係わっていくべきだと感じました。
現場で大切にしていること
私が現場で大切にしていることは“やりがい”を教えることです。 よくチームの監督が話していました。
「最近の子たちは、感情が乏しいように感じる。心に湧き上がっても、恥じらいの方が勝ってしまう。感情を出して、バレーを思い切り楽しんで欲しい。」
ジュニアは、これから大きく成長していく世代です。 正しい身体の使い方や、いろいろな規則を学ぶことももちろんですが、それ以上に“伸びしろ”を感じ、いかに“やりがい”を感じて貰えるか。 そこを私は大切にしています。
時には、本気で手本を見せますし、大声で指導することもあります。 退屈そうな顔がほぐれて、必死な表情を見せてくれた時は、本当に嬉しく感じます。
こうした係わりから、ジュニア世代を築き、今後のスポーツ界に繋げていきたいと、私は思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。