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2015年06月15日
スポーツトレーナーは誰でもなれる
私はスポーツトレーナーに憧れて、この世界に入りました。
でも、関わっている途中で「自分の思い描いていたことと違う」と感じ、勝手に諦めていました。
そこから、改めて目標を持ち、再スタートした道ですぐに出会ったのがJARTAでした。
北海道JARTA認定講師の犬尾です。
今回は、犬尾自身のスポーツトレーナーに対する想いとJARTAとの関わりをお話する中で、
「スポーツトレーナーは、覚悟さえあれば誰でもなれる」ということをお伝えしていきたいと思います。
1985年10月29日生まれ。現在29歳で既婚、娘1人です。
元々は、高校生までバスケットボールに打ち込み、高校三年生最後の総体1ヶ月前にACLを断裂。
最後の試合は、指を加えてベンチで終わるというホロ苦い経験持ちです。
それがキッカケで理学療法士を知り、自分みたいなスポーツでケガをした人に関わることが1つの動機でした。
それ自体は、この業界にいる上ではよくある話だとは思います。
そこから理学療法士になったはいいものの、「狭き門である」「休日返上」「ボランティア」「難しい」などと聞かされてきました。
それでも、「何か少しでも関わっている自分、少しは格好がつくんじゃないか?」なんてくだらない理由で、周りの目を気にしながら、病院勤務の時間外で他の病院の先生と関わるようになりました。
当時、そんな自分の在り方が、苦痛に感じ始めていたことを覚えています。
スポーツトレーナーって実は全然面白くないんじゃないか?
なんとか、スポーツに関わることはかろうじて出来ていたものの、やってみた現実は思っていたことと違いました。
とても大切なことをしていることは分かっていたのですが、当時やっている事と言えば
- テーピングや応急処置
- お決まりのスクワットや体幹トレーニング指導
- 研究のためのデータ収集
あとは、選手がケガしないように祈って、見ているフリしながら黙って立っているだけ。
自分に仕事が回ってくるか、こないかをビクつきながら待っているだけ。
自分のやっていることに自信もないし、他の病院の先生が追いつけないほど凄い人に見えるし、仕事を振られるかこないかを待っているだけ。
そんな活動を休日返上や時間外でやるにあたって、スポーツ選手を見ている自分の行動を振り返ったとき、なぜか自分の心は踊らなかった。
「スポーツトレーナーをするって、こんな感じなんだな」と勝手に決めつけていまい、
途中から「そこまでしなくてもいいか…。」なんて思うようになりました。
いつの日か、「自分には無理だ。自分には難しい。自分には、そこまでする理由がない」なんて言葉で発するようになり、スポーツに関わることは本当に遠ざかっていました。
今考えると、当時私はこれについて何も頭も使っていなかったし、言動行動に責任も持たず、「難しい」という自分の言葉を自ら体現していたと思います。
自分の可能性を閉ざしていたのは、自分だった
結婚して、娘が出来たときに「自分を変えたい」と強く思うようになりました。
その時に、1人で北海道の外にセミナーにいった時に、改めて考えてみて、初めて考え方が変わりました。
そこでもう一度、「自分がワクワクできるスポーツトレーナーになる」と決めました。
そうなった矢先に、出会ったのがJARTAの代表の中野です。
JARTAの代表の中野は、私が考えたことを先に体現していっているような人間でした。
型に当てはまらず、形にこだわらず。
格好を気にせず、自ら挑戦していく人でした。
この代表との出会いの先に、全国のトレーナー仲間と出会い、自らの行動にとても勇気づけられ、後押しさせられたと思います。
そして、当時勝手に「スポーツトレーナーの仕事はこんなもの」と限界を決めつけていた私の中での狭い常識を、JARTAのセミナーでことごとく崩されました。
スポーツトレーナーとして自分が出来る可能性の広さに気づかせてくれたのも、JARTAだったと思います。
今は、胸を張って自分が「スポーツトレーナー」をさせて頂けていますし、挑戦し続ける楽しい毎日です。
あのとき、自分の可能性を閉ざしていたのは「自分」でした。
ただ、スポーツに関わる覚悟が足りなかっただけだと思います。
私と同じように、スポーツトレーナーは「難しいもの」と考えている方は、是非JARTAの講師に会いにきてください。
みんな同じように考え、途中で挫折し、その中で自らスポーツトレーナーを実現していった方が多いのです。
私自身も、出会いによって変わることが出来ました。
挑戦すること自体に早い遅いはありませんので。
最後までお読み頂きありがとうございました。