真似をするということ

 

文責:赤山僚輔

 

スポーツに関わらず、何かの上達や成長を目指す上で”真似をする”ということが重要であるのは改めていうまでもないと思います。

 

でも色々な指導者や選手と会話をしていると、その”真似をする”ということができていないだけでなく、やろうとしていない方が多いように感じるので今回はその重要性について改めてお伝えしたいと思います。

 

目次

・真似をせずに先輩を超えることができるだろうか
・守破離とは
・師を見るのではなく師の見ている景色を見る
・徹底的に真似した先にオリジナルが生まれる

 

 

真似をせずに先輩を超えることができるだろうか

武道の世界ではまずは先人の教えを元に師匠の真似をしたり、先輩の真似をすることから上達の一歩は始まります。

きっとスポーツにおいても上手くなりたい最初のきっかけはテレビに映る選手のプレイを真似したり、仕草や時にファッションなどを真似してその選手になりきることから競技の楽しさや上手くなりたいという欲求が湧いてくることが多い。

 

でもその先輩の存在が中途半端に近いと真似をすることが恥ずかしかったり、自分を持っていないと思われるのが嫌で競技を行なっていく上で心身ともにまだまだ未成熟であるにも関わらず真似をすることよりも”自分なりのやり方”を模索している選手が多いように感じる瞬間があります。

 

きっとそれはスポーツ以外でも同じことが言えます。

まずは自分なりを模索するよりも、成功者の模倣を徹底的にすること。

これはどんな業界でも成長する上での鉄則です。

 

自分自身も色々な書籍や多くの素晴らしい方とスポーツ業界に関わらずお会いすることがこれまであり、自分から見て眩い人生の輝きを放つ方々にはある一定の共通項があり自分自身はその時々でその方々の真似をしてきました。

 

それは時に持ち物であったり、行動パターンや口癖など。

 

スポーツに話を戻すが、例えば高校生を例に考えてみると高校入学時に先輩を超えようと思って自分なりで練習しても限界はみえています。

1学年でも先輩であれば同じような時期に同じような苦しみも成長も経験し、どうすれば最短距離で上達するかを知っていることが多く

思い返してみても、先輩の言うことを素直に聞き入れ、とりあえず真似をひたすらしている選手の方が先輩に可愛がられ次々とチャンスがもらえることも多いと思います。

 

これは先輩に媚びを売ると言う意味ではなく、時に余計なプライドは自分の最短距離での成長を阻害することにも繋がっているのです

 

という認識を元に先輩の真似をするという選択肢をもっと柔軟に、素直に持つことは大事な視点であると考えています。

もちろん競技特性によっては多少先輩の言うことを聞かない生意気な性分の選手が大成することもありますのであくまで一例として聞いてもらいたい。

 

守破離とは

守破離という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

Wikipediaでは以下のような説明がなされています。

日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つであり、それらの修業における過程を示したもの。

日本において芸事の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想で、そのプロセスを「守」「破」「離」の3段階で表している。

これをスポーツに置き換えると

「守」はスポーツの基本やチームの型、指導者の教えや先輩の教えを守ること。

その守ることが真似することでありそれが言われながらではなく自分自分でできるようになってやっと一人前である。

そのように解釈できます。

「破」はその型や教えを自分と照らし合わせて、より自分にあった型や手法を試行錯誤をしながら自分流のスタイルに挑戦する段階でこれができる選手は型破りな選手となります。

型破りな選手に成ろうと思ったら、まずは型を徹底的に守る、真似する必要性があるのです。

そして「離」の段階になると自己の探求や研究の集大成となりその競技の技術や修練方法についても熟知している為、師から離れることも基礎を変革し進化させることもできます。

ここまでくるとオリジナルと呼べるのではないでしょうか?

 

きっと守破離の「守」と「破」をとばして最初から「離」をしようとするから自己のあり方や戻るべき型がなく迷子になって成長が止まったり、プラトーになるのだと思います。

 

師を見るのではなく師の見ている景色を見る

 

私はこれまで守破離させてもらってきて、現在進行形で守破離している師と呼べる存在が4名います。

その時々で多くの刺激も叱咤激励もしてもらい本当に感謝していますが、ある時、ただ師をみているだけでは一生師の背中しか見えない。

そのように感じることがあり上記の言葉の存在を知りました。

ただ師を見ているだけでは本質的にはうわべだけの真似事に過ぎないのです。

師が何をみて、どう考えているか。

そこをみて考えてこそ本当の真似が始まる。

 

それを知り、体現してくれてきた師の存在のおかげで時に、何も師から言われなくても先に言おうとしていることがわかったりするようにもなってきました。

 

同じ景色をみているので、感じることも考えることも似てくるのです。

もしあなたが尊敬する選手や師匠のような存在がいるのであれば、その方々がどんな景色をみているのか徹底的に真似することをお勧めします。

 

それは読んでいる本であったり、旅する場所や一緒に行動をすることができたらどんな景色に目を奪われているのか。

 

スポーツにおける成長についても全く同じことが言えます。

 

ただプレイを真似するのではなく、どういった目的でどんな視点でどんなイメージをしながらそのプレイを練習しているのか。

 

それが共有できていないといつまでも先輩に追いつくことはできません。

私は幸い4人の師は私より全員年上なので、今の師の年齢に自分がなったときにはまずは同じ景色がみれているようにと思い守破離しています。

 

同じ景色が見えた時に自分自身のあり方が確立できていたら、その時、守破離の第二段階が始まるかな。

 

そのように考えています。

 

 

徹底的に真似した先にオリジナルが生まれる

 

真似できることを真似せずに”自分なり”でオリジナルを目指していると困ったことが起きる可能性があります。

いくつかの業界で自分自身もそういった状況をみたことや聞いたことがあるのですが

師の真似をしておらず真似をしようとしていないので、これがオリジナルだと言っても実はその事象はすでに師が数年前に行っていたことと瓜二つになってしまうということです。

 

もちろん全くのオリジナルなんてこの情報社会でなかなか難しいとは思います。

でも前述したように守って破るからこそ元の型に対してどの部分が自分なりのエッセンスが加わって、独自の手法になっているかがわかるのだ。

 

世の中にあるスターバックスコーヒーが同じようなコーヒーを提供しているものの、店舗デザインやPOPの書き方などその店舗のオリジナル要素がみえるように。

ゼロから100までをオリジナルでトレーニング方法やコンディショニング方法を考える必要性はないと思っています。

ましてやコーチング手法などはスポーツ以外の業界でも数多く素晴らしい手法があり、自分自身もたくさん流用させてもらっています。

 

どこか真似することを”パクった”ような感覚でネガティブイメージを持つアスリートもいるかもしれないが、武道の世界だけでなくスポーツでは新しい技術を習得する過程は全て”真似”から入る。

 

もっと積極的に真似して良いと思う。

そして徹底的に守破離して成長へのスピードを加速化していってもらいたい。

 

 

 

長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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