スポーツトレーナーという仕事に対する私の想い / 米沢 康平

私がスポーツトレーナーという仕事に対する想いとして一番初めに思いつくことは

「選手のために」

ということが思い浮かびます。

選手は自分の競技を上手くするために努力を惜しみません。

JARTAでも再三話されている

「努力をするのは選手の責任、努力の方向性を導くのはトレーナーの責任」

という概念はトレーナーの本質と私は考えています。

私自身選手としてプレーをしていましたが、努力をする方向がただ闇雲に頑張るだけで終わっていた現実があります。

身体に対する知識を持った指導者が少なく、昔ながらのトレーニング(今考えたら有効なトレーニングもたくさんありましたが)をひたすら繰り返すという努力の方向しか考えられませんでした。

実際に私自身も怪我をしてしまいました。

その経験もあり、今プレーをしている選手には同じ経験をして欲しくないし、スポーツの素晴らしさ、楽しさ、可能性を感じさせられるようにサポートをしてあげられるのがスポーツトレーナーとしての在り方だと感じています。

 

大事な想いとして、選手の覚悟に負けない、勝る覚悟が必要と感じています。

選手はその年、そのシーズン、その試合と今しかできない試合に全力で挑んでいます。

そのために何千、何万回と練習を繰り返している相当な覚悟があります。

私がサポートしている高校野球のチームでは高校入学とともに親元を離れ、寮生活をしながら日々練習に取り組んでいます。

その選手一人一人が様々な想いを持っていますが、全員に共通して相当な覚悟を持っています。

そのような選手に覚悟を持たずに関わるのは失礼になりますし、選手自身もそのようなトレーナーには身体をみてもらいたくありません。

その覚悟に応えられるくらい、またはそれ以上の覚悟をトレーナー自身が持っていなければこの仕事はできないと私は考えます。

選手に関わる際、前提条件を常に念頭に入れておくということも必須になってくると思います。

練習のためのトレーニング、試合のためのトレーニング、様々なトレーニングがありますが、全ては結果がでなければ意味を持たないと言ってもいいと思います(選手個人が成長していくという観点では意味のあることだと思いますが)。

 

選手が何を望み、何の為にトレーニングをするかという前提条件がトレーナーの頭から離れていては選手を置き去りにしたトレーニングになると思います。

実際、自分自身も選手の要望にただトレーニングを当てはめるだけの作業が続いてしまったこともあります。

当然、選手はスキルアップや上手くなった実感がないので反応は薄いものでしたし、私のところに来るのも少なくなりました。

 

なぜ、そこに選手がいるのにその選手を分析せずトレーニングを処方してしまったのか、今思うと選手に申し訳なく後悔の気持ちしかありません。

結果が出せるようにという前提条件を忘れずに、日々トレーナー自身も鍛錬しながらサポートをしていかなければならないと感じています。

前提条件を忘れないということにもう一つ大事な想いもあります。

それは、トレーナー活動をしていくにあたり、様々な制限が出てくると思います。しかし、それを制限と捉えず、やれる条件の中から最善の方法を選択していくことが重要と考えています。

 

私には家族がいます。

その家族がいてくれるからこそ今のトレーナー活動ができていると考えられるようになり、素直に感謝の気持ちが出てきます。

家族だけではなく、職場、指導者の方々、全ての人に支えられながら今活動できていると思います。全ては感謝です。

 

最後に、トレーナーという世界はまだまだ発展する伸び代がたくさんあります。

今現在活躍されているトレーナーの方々とどのように共存できて、さらにより良いものを選手に提供できるかも大事な事だと思います。

信念は強いものを持ちつつ、邪魔になるようなプライドは捨てて選手に貢献できるトレーナーが今後増えていくように私自身も努力していきたいと思います。

このような想いを持てたことも、JARTAで出会った講師の方々、認定トレーナーの方々、受講生の方々のおかげだと心から思えます。

 

この出会いにも感謝です。

本当にありがとうございました。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。