鍛冶田憲史


 いついかなる時代において、個人の記憶に残るシーンというものは数多存在すると思うが、スポーツの記憶というのはそれを占める大きな1要素だと私は思う。例えば、オリンピックや大きな国際大会で日本代表が活躍した時、熱狂的に応援しているチームが日本一に輝いた時、大好きな選手が引退した時、熱心に打ち込んでいた部活動で優勝した時、負けて悔し涙を流した時、名前も知らない選手の情熱に心を打たれて感動した時。改めて考えてみると、スポーツの記憶は、年代、期間、レベル、選手の有名無名、興味関心の強さ、人種や思想の違いなど様々なものを超越して個人の記憶に強く刻まれるものだと思う。そしてその記憶は何度も思い起こされ、仲間に語られ、世の中に拡散されて、また他の誰かの心の中に残り続ける。心の中に残った記憶は、個人の中で時の経過とともに様々な意味づけをされる。楽しかった思い出も、辛かった出来事も、それら全てがあってこその「今の自分」だと思うようになることもあるだろう。恐らく過言ではなく、時には一つのエピソードで誰かの人生が変わることもあるだろう。スポーツの記憶はそれほど大切なものだと私は考える。

私の26年の人生においても、様々なスポーツの記憶が鮮明に残っている。野球・サッカー・水泳と日が暮れるまで体を動かすことを楽しんでいた小学生時代。毎日テニスに明け暮れた中学・高校時代。個人で戦う孤独さと、チームで戦う素晴らしさ・楽しさを知ることができた大学時代。そして仕事として関わることで、身体とスポーツの新たな一面を知ることが出来ている現在。それら全ての経験によって多くのことを学ばせてもらい、今日のスポーツに対する視点・感性が形成されたと確信している。スポーツの魅力に魅せられて、「スポーツに携わる仕事がしたい」「裏方からスポーツ選手を支えたい」という想いから理学療法士を志して、長年夢見ていたスポーツトレーナーとしての第一歩を、強い意志と信念を持って踏み出した。

私は将来、スポーツトレーナーとして働き続けたいと考えている。スポーツトレーナーとして活動する際に、強く意識しておきたい事が2つある。

1つ目は、「選手の人生の大切な1ページに関わっている」ということである。選手にとって今私が関わっているこの瞬間が、選手の心に残る瞬間であるかもしれないし、人生を変える一瞬になるかもしれない。このような意識を持って選手に接し、選手のことをよく理解した上で関わる(選手の人生に『調和』して関わる)ことで初めて、より選手にマッチした指導ができるのではないかと考える。また、人生の大切な時期にケガなく、ストレスも少なく、自分の能力を最大限に発揮したパフォーマンスは、いい結果を生む確率を高めると考える。そうすると選手自身はもちろんのこと、それを見ていた他人の中により強く印象づけられて、また新たな影響を与える可能性がある。対象者だけではなく、見ている人の人生にも関われる可能性を秘めている仕事ではないかと考えているので、常にその意識は持って関わっていきたいと考える。

2つ目は、「自分自身も楽しんで」トレーナーという仕事を全うすることである。直接選手に触れる機会もあるトレーナーが、不安などのマイナスな気持ちを持ちながら接すると、選手にも悪い影響を与えてしまう可能性があることが想像できる。選手と共に、同じ志を持つトレーナー達と共に喜んで、共に悲しんで、皆で悩んで、皆で考えて考えて考えて、これでもかと考え抜いて、ゴールに一歩ずつ近づいていく過程は、きっと楽しい旅路なのではないかと考える。良い結果が出たことに共に喜び、思わしく進めず苦しい時も、「課題が見つかって、また1つ成長できる。」「仲間と繋がれる大切なテーマが見つかった。」と喜び、ゴールの見えないジャングルを進みたいと思う。

自分にはスポーツから学んだ座右の銘がある。

「道を閉ざすのは、絶望ではなく諦め。道を拓くのは、希望ではなく意志」

いかなる状況においても、前に進むのか、それとも諦めて歩みを止めるのかを決めるのは私自身であると考えている。たとえ、どんなに絶望的な状況であったとしても、その意志1つで、考え方の転換1つで突破口を見出せる可能性があると私は考えている。いかなる時も自分を信じて進みたい。そう思うと同時に、苦しい時に自分を信じられるように、日頃からの研鑽に励みたいと思う。また、この言葉は選手に一番伝えたいメッセージでもある。私が活動を通じてこの言葉を体現することで、選手がメッセージを感じ、選手の人生を変える一助になれれば、私はスポーツトレーナーとしてこれ以上光栄なことはない。